MADE IN OCCUPIED JAPAN

About

占領下の日本製という意味で、終戦後1947年からサンフランシスコ講和条約が発効された1952年まで、日本からの輸入品に表記を義務付けられた言葉から由来します。

沖縄は今でこそ南国の楽園のような場所ですが、太平洋戦争時には激しい地上戦が繰り広げられ、地形が変わるほど無差別に破壊し尽くされました。そして終戦後、衣食住全てが不足していました。

そんな過酷な状況の中でも知恵を絞り、限りある資源で様々な物を生み出しました。戦闘機の残骸を溶かして鍋を作り、大きなガスタンクをくりぬいて船を造り、配給品の小麦粉袋を帆にして漁に出ました。すべては生きるために。

私達の製品に使われる米軍放出品のテントや装備品は、元々の使用目的や使われた環境を考えれば負の遺産とも言えます。しかし、あえてこの素材を使い日常生活に溶け込むデザインや機能を与え、かつての彼らのように、本来の目的と異なる日用品に作り変える事で’’MADE IN OCCUPIED JAPAN’’この言葉を平和へのメッセージに変えて伝えて行きます。

 

Okinawa Surplus Shop

沖縄には国道沿いや米軍基地周辺に、Surplus Shop(軍払下げ品店)が点在していて、米軍から許可を得て定期的に開かれる入札会で買い付けた品を販売している。入札は1カーゴ単位で行われてゆく、とてつもない量を一度に仕入れる為、一見すると店なのか在庫なのかわからない独特な雰囲気のお店が多い。中に入ると、無造作に山積みにされた迷彩柄やOD(オリーブドラブ)色のミリタリージャケットやコートに圧倒される。

他にもスチール製の食器類やガスマスクなど、説明されなければ使用方法や目的のわからないモノ達であふれている。文字通りその山を掘りおこしてゆき、’’MADE IN OCCUPIED JAPAN’’に使用する素材やデザインソースを探し出してゆくのである。

 

U.S Military tent

正式名称は「SHERTER HALE TENT(シェルターハーフテント)」といい、第二次世界大戦時から原型をほとんど変えずに、半世紀以上に渡って使用されてきた避難所用の小型テント。兵士二人で一枚ずつを携帯し、二枚一組で一張りのテントになる。’’MADE IN OCCUPOED JAPAN’’で使用するテントの多くは、1960年代から1990年代に製造されたもの。

実際に使用されていた素材も多く、使用環境による傷や汚れなど一枚一枚状態を確認しながら裁断していく。その際、あえて傷や汚れた部分を使い活かすことで、一つ一つが一点物の風合いのバックに仕上がる。

 

Process

まずは生地を洗う。’’MADE IN OCCUPIED JAPAN’’で使用するテントは素材年代・種類も様々。その中でも大型のテントは広げるだけでも一苦労。

裁断は最終的な仕上がりを左右するとても重要な作業。テントを裁断台に広げ、傷や汚れの位置を確認し、出来上がりを想像しながらパターンと呼ばれる設計図を配置して行く。一枚一枚厚みや大きさが異なるため、薄手の生地には裁断後、ペンキを塗る。生地の強度と防水性が高まると同時に張りが出るため、物を入れていない状態でも型くずれしにくいバックを作る事が出来る。様々な工程を経ていよいよ作業に入る。

ファスナー、裏地、ポケット、一つ一つのパーツを丁寧に縫い合わせてゆく。堅くぶ厚い生地の為、針を進めるたびに’’ドンドンッ’’と金づちで針を打ち付けた様な大きな音が作業場内に鳴り響く。

製品の顔とも言えるステッチ。慎重に、一針一針心を込めて針を進めて行く。

最後に裏地と表地を縫い合わせて表に返す。硬い生地の為にとても力を使う。仕上げに余分な糸を切り、ほつれや縫製の不備が無いか確かめる。

 

Finished

Zipper

ヴィンテージファスナーブランド「WALDES」を使用。「WALDES」とは1930年代のアメリカに実在していたブランドで日本の「朝日ファスナー」社が当時の製法や規格を忠実に再現して復刻したヴィンテージファスナーブランド。

Lining

トラックの幌やテント等に使われる工業資材、「ターポリン」を使用。頑丈で汚れに強く、水分を通さないのが特徴。

Other Parts

米軍で使用されていたデッドストックの頑丈なベルトや綾織りテープをハンドルや縁取りに使用。

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